イケメン過ぎる50代の大物俳優とも知られる唐沢寿明さんは、多くのドラマ・映画・舞台などで活躍されています。
しかし、若い頃の俳優の下積み時代では貧乏であり、過酷な道を歩んできたといった経歴もあるようです。
今回は唐沢寿明さんの若い頃の貧乏生活やそこからの人生逆転秘話について掘り下げていきたいと思います。
若い頃の貧乏生活が壮絶的だった…
唐沢寿明さんは今でこそ名俳優として大成功を収めていますが、若い頃は現在と比較して想像もつかないような過酷な貧乏生活を経験されていたようです。
そのいくつかの貧乏エピソードについてご紹介していきたいと思います。
危険な仕事に激安のギャラ
唐沢寿明さんはデビューし始めの頃、エキストラや脇役としてドラマに出演しますが、身体を張った危険な役柄な上に激安のギャラと苦労していたようです。
1980年(当時17歳)に高校中退後、俳優になることを志します。
更に実家が都内(東京都台東区)にあったのですが、両親の喧嘩を見ているのが嫌になり、家出を決意します。
自分一人の力で生きていくことになった唐沢さんは、アルバイトや俳優業をしながら最低限の生活費を稼ぎながら生きていきました。
ちなみにショーパブのアルバイトで働いていたときは、月収18万円だったと文集オンラインのインタビューでは答えています。
デビュー当初は、の『仮面ライダーシリーズ』『スーパー戦隊シリーズ』などの脇役や出演がほとんどで、中には極めて危険なアクションもあったようです。
- 高さ10mから飛び降りる
- 車にひかれる
- 馬に引きずられる
それに加えて、1回あたりの出演のギャラはたったの3000円。
世間で言う、ブラック企業以上に条件が悪い状況でした。
かなり不便な居住地に住んでいた
アルバイトや激安ギャラの俳優業で生活費を稼いでいた唐沢さんは、その収入内でもやっと暮らしていけるような決して条件の良くないような物件で暮らしていたようです。
その居住地は寝ることくらいしかできないような、かなり不便なものでした。
- 6畳一間・風呂なし・トイレ共同の物件で暮らしていた
- 1畳くらいのスペースしかない部屋で2年間も暮らしていた
一日の食事量はバナナ1本だけ
下積み時代、極僅かの収入しか稼げなかった唐沢さんは、一日分の確保できる食事量もかなり少なかったようです。
有名な話では1週間の間、バナナ6本だけの食事量で過ごしてきたという情報があります。
このことは、成人男性が必要とするカロリーのおよそ30分の1のカロリーで生きてきたということになります。
栄養失調になるほどの危険な食生活ですが、それでも俳優を続けた唐沢さんの信念が凄いですよね。
どん底からの人生逆転秘話もヤバい!
過酷な貧乏生活を過ごしてきた唐沢さんですが、諦めず俳優業に勤しんできた結果として現在のような大成功を収めています。
そんな大逆転エピソードについてもいくつかご紹介していきたいと思います。
恩人・浅野ゆう子のおかげで一気にブレイク
唐沢さんは、1992年の大ヒットドラマ『愛という名のもとに』でブレイクを果たしますが、その陰には女優・浅野ゆう子さんの存在があったようです。
当時、トレンディドラマに出演し徐々に知名度を上げていった唐沢さんは、浅野ゆう子さんに誘われたのをきっかけにドラマ「男について」(1990年)に出演。
そこで唐沢さんの演技力を高く評価した浅野ゆう子さんは、唐沢さんのサポート役として支えてくれ、同じ事務所に移籍することになります。
具体的には、当時に流行だった爽やか路線に唐沢さんがキャラ変更することで、オーディション受かりやすくなったそうです。
現在も唐沢さんは恩人・浅野ゆう子さんに対して頭が上がらない存在だと話しています。
金持ちになり豪邸に住む
俳優として成功するまで決して諦めなかった唐沢さんは、現在は裕福になり、豪邸に住んでいるといった噂があります。
唐沢さんの自宅は東京都目黒区中目黒にあるといった情報がありますが、推定3億円のプール付きのもののようです。
また、伊豆にも別荘を所有しており推定7000万円の高額なものだと言われています。
更に、2006年には母親に一戸建てを建ててあげるといった親孝行をしています。
過去の貧乏生活が全く嘘のような、大逆転ストーリーが衝撃的です。
今回の記事のまとめ
今回は俳優・唐沢寿明さんのデビュー時の貧乏生活、どん底からの人生大逆転ストーリーについて調査していきました。
唐沢さんは悪条件の仕事・物件や食事をまともにとれなかった生活から、恩人の力などを借りて現在は十分に豊かな暮らしができています。
1畳分のスペースしかない部屋に住んでいた青年が、今では3億円の大豪邸に住んでいるとは夢のような話です。
そんな人々に希望・夢を与えてくれるような唐沢寿明さんをこれからも応援していきたいですね。