2021年8月31日に女子高校生を殺害し、山梨県内の山中の小屋に遺体破棄した疑いで逮捕された小森夫婦。
その小森夫婦の旦那である小森章平氏の生い立ちが壮絶的だったということが後の捜査で分かったそうです。
今回は小森章平氏の壮絶的な生い立ちについて掘り下げていきたいと思います。
小森章平の生い立ちが壮絶的過ぎる…
女子高生を殺害し、遺体破棄した容疑で逮捕された小森章平氏ですが、今回の事件だけではなく壮絶的な過去を経験した人物としても知られているようです。
小森章平氏が今までの人生に経験してきたものは以下の通りで、上手く行っている人生とは反対の人生を送ってきたような気がします。
- 学校内でのいじめ
- 暴力事件
- 会社に馴染めず、転職を繰り返す
なぜ、小森章平氏がこのようなネガティブな出来事ばかり経験してしまったのか。
その原因は「コミュニケーションを上手くとることができなかったから」にあるのではないかと考えられます。
コミニケーションは人間関係を上手く構築する上でとても大切な手段です。
小森章平氏の母親は取材で、息子・章平氏は幼少期からコミュニケーションが苦手だったと述べています。
小森章平容疑者の母親: コミュニケーションが苦手な子だったんで。 (ネットの)その中でしか自分が出せないっていうか、そういうところがあったから。それで、話がはずんで、仲良くネットの情報とか見ていると、亡くなられた女の子と趣味とかが合うところがあったんですね。
引用:FNN プライムオンライン
もしかしたら、人とのコミュニケーションが上手く取れるようであれば、小森章平氏もこのような辛い経験をせずに済んで、明るい人生を過ごすことができたのかもしれないですよね。
いじめや暴力事件と心の闇が深すぎた…
それでは、小森章平氏が実際に今までに経験してきた辛い過去の出来事について1つ1つご紹介していきたいと思います。
高校はいじめによって中退
小森章平氏は学生時代に壮絶的ないじめに遭っていたせいで、高校を中退してしまいました。
高校の進路では、将来的に航海士か自衛隊員になりたいという理由で航海分野や海洋工学分野がある三重県水産高等学校に進学しています。
Facebookのプロフィール欄でも「三重県立水産高等学校に在学していました」とあります。
自分の将来のためにその高校に進学したつもりですが、学校内では過酷な実習に加えて、先輩からいじめを受けることになります。
その結果として耐えられなくなり、夢を諦め高校を中退してしまいます。
不良の多い中学でいじめに遭う
中学時代もまた、小森章平氏は壮絶ないじめを経験していたといいます。
通っていた中学校の詳細は分かっておりませんが、校内の窓ガラスを平気で割るような不良たちが何人もいたそうです。
やんちゃな不良たちは、小森章平氏にいじめを仕掛けます。
そのエピソードとして薬を飲むように周りの不良たちに勧められていたといった恐ろしい出来事があったようです。
自主的に薬を持ち歩いていた可能性もありますが、もしかしたらいじめによる体罰として薬を持ち歩かさせられていたのかもしれません。
「得体のしれない錠剤を大量に持ち歩いていて、学校で飲んでいましたね。何の薬なのかはわからないのですが、やたらと周囲にも“飲めよ”と勧めてきて、ちょっと怖かったです」
引用:週刊女性 PRIME
暴力事件
学生時代の同級生の証言によると、小森章平氏は弱い立場の女子生徒に対して暴力を行っていたという噂があるようです。
その暴力内容は過激なもので、一歩間違えれば、大怪我をさせてしまうような危険なものだったそうです。
- 休み時間に突然キレだして、女子生徒に向かってカッターをブンブン振りかざす
- 何の理由もなく、女子生徒を階段の上から突き落とす
もしかしたら、学生時代に受けていたいじめっ子による嫌がらせが悔しくて、このような行動に出てしまったのかもしれません。
会社に馴染めず、転職を繰り返す
高校を中退して社会人となった小森章平氏でしたが、会社にも馴染めず転職を繰り返していたといいます。
その後は溶接工などの仕事を転々とし、和美容疑者と出会うまでは三重県で過ごしてきた。
引用:週刊女性 PRIME
なぜ、このように転職を繰り返してしまったのか詳しい理由は分かりませんが、もしかしたらパワハラなどの人間関係が原因で何度も逃げるように転職してしまった可能性も考えられてきそうです。
コミュニケーションが苦手だった小森章平氏は、上司との馬が合わず、職場ではトラブルに遭っていたのかもしれません。
今回の記事のまとめ
今回は2021年8月31日に起きた女子高生遺体破棄事件で容疑者として逮捕されてしまった小森章平氏の壮絶的な生い立ちについて調査していきました。
学生時代のいじめや会社に馴染めず、転職を繰り返すなど今までは人生ハードモードだったと考えられます。
小森章平氏はコミュニケーションをとることが苦手だったそうなので、そこの問題がなければもっと明るい人生を贈れていたのかもしれません。
いずれにせよ、もう二度とこのような悲惨な事件が起こらないことを心より願っております。