東京パラリンピック2020の競泳種目の銀メダリストであり、ダンサーとしても活躍する富田宇宙さん。
競泳メダリストとして一躍有名になれた富田さんですが、過去には視力低下のため「人生終わった」と思う程に追い詰められたことがあったそうです。
今回は富田宇宙さんの壮絶な生い立ちからの復活劇について掘り下げていきたいと思います。
生い立ちが壮絶的だった…
全力少年だった
1989年2月28日に誕生した富田さんは、親から「宇宙」という名前を授かります。
彼は自分の名の「宇宙」に関する仕事をしたいと思い、幼少期の時点で将来は「宇宙飛行士」になることを熱望していました。
そこからの人生はというと「宇宙飛行士」になるためにスポーツ・勉学に全力で取り組みます。
まずは、体力を付けるために3歳で水泳を始めます。
更に勉学にもかなり力を入れており、高校受験では県内トップの学力を誇る「熊本県立済々黌高校」(偏差値:73)に合格し、卒業しています。
高校時代は、宇宙工学・航空工学を学べる大学を目指していたということで、いかに夢に向かって本気だったのかが伝わりますね。
小さい頃に「宇宙飛行士」になりたいと思う少年は多いですが、富田さんのようにずっとその夢に向かって努力している人は極わずかであり、凄いとも言えます。
突然、夢を打ち砕かれることに…
宇宙飛行士になるために全力だった富田さんでしたが、突然に発症した難病のせいでその夢を打ち砕かれることになってしまいます。
高校2年時に授業を受けていた富田さんは、急に黒板の文字が見えにくくなるといった症状がでます。
4カ所もの病院で診察を受けて分かったのが、「網膜色素変性症」という難病であったことです。
「網膜色素変性症」とは?
目の内側にあってデジタルカメラでいえばCCDセンサーやCMOSセンターに相当する網膜という部分に異常をきたす遺伝性、進行性の病気です。
引用:難病情報センター
主治医には、徐々に視力が低下していくのは確実で、最悪の場合は全盲になると告げられたそうです。
この難病が原因で長年の夢だった「宇宙飛行士」になれないと確信した富田さんは、「人生、終わった」と絶望してしまうこととなります。
突然の視力低下からの逆転劇が凄かった!
逆転のきっかけは水泳
少年時代の大きな夢を突然、打ち砕かれ人生に絶望していた富田さんでしたが、水泳を再開したことをきっかけに人生大逆転を果たします。
高校3年時には「県高校総体ベスト6」「九州大会出場」といった戦績を残しながらも、人生での一区切りを付けたいということで引退。
しかし、2012年(当時23歳)に障害者のコミュニティに入ろうと思ったのをきっかけに、水泳を再開します。
視覚障害の症状が進行していた富田さんは、パラスポーツに興味を持ち始めていました。
2013年には東京パラリンピックの開催が決定したことを知り、出場を目指します。
水泳再開からの戦績がヤバい
富田さんは年齢を重ねる内に視力低下の症状も悪くなる一方でしたが、それに負けじとパラ水泳では素晴らしい成績を残されています。
元々、一つの目標に向かって極めることができるプロ意識が高い方だったので、パラ水泳の世界でもしっかりと成功していますね。
2015年11月 日本選手権 男子400m自由形(S13)・男子100mバタフライ(S13) アジア新記録2018年8月 パンパシフィックパラ水泳選手権 3つの金メダルを獲得2018年10月 アジパラ大会 男子100m自由形(s11) 金メダル ・男子200m個人メドレー(SM11)、男子50m自由形(S11) 銀メダル2019年9月 世界パラ選手権男子400m自由形(S11)、男子100mバタフライ(S11) 銀メダル2021年8月 東京パラリンピック 競泳男子400メートル自由形 視覚障害のクラス 銀メダル引用:Wikipedia
今回の記事のまとめ
今回はパラ水泳選手・富田宇宙さんの壮絶な生い立ちやそこからの逆転劇について調査していきました。
難病の視覚障害により、幼少期からの夢だった宇宙飛行士を諦めることになり一時期は絶望します。
しかし、その中でも自分の活躍できる分野を見つけ、見事パラ水泳において優秀な成績を収められています。
何事にも目標一筋な富田さんは、とても尊敬されるような存在であると思います。
今後もパラ水泳選手・富田宇宙さんのご活躍を応援していきたいと思います。